読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ぷらす1ネタ

あなたの普段の情報にプラス1ネタ!会社や学校などでの話のプラス1ネタを随時発信しています

小室哲哉が全盛期にプロデュースを失敗した人物は?年収や経歴が凄すぎる!?

f:id:sinberu:20170109191628p:plain

小室哲哉さんといえば、1990年代に「小室ブーム」という社会現象を引き起こし、「小室ファミリー」と呼ばれる数多くの歌手を輩出した方です。

 

現在もミュージシャン、音楽プロデューサーとして活躍し、日本の音楽界のレジェンドといえる小室哲哉さんですが、私生活では、3度の結婚を経験しています。

 

1988年に元歌手の大谷香奈子さんと結婚しましたが、1992年に離婚し、2001年5月には、元歌手のAsamiさんと結婚し、長女をもうけましたが、翌年2002年3月にスピード離婚しています。

 

同年11月には、globeのボーカル・Keikoさんと結婚していますが、2008年11月、5億円詐欺事件を起こし、逮捕されるという事態に陥り、そんな苦しい思いをしていたときに、支えてくれたのが、妻のKeikoさんでした。

 

さらに、小室哲哉さんに試練が訪れます。

 

2011年10月、妻・Keikoさんが、くも膜下出血で倒れてしまいます。

 

しかし、幸いなことに、Keikoさんの命に別状はなく、現在、小室哲哉さんが妻・Keikoさんを支え、リハビリを続けているそうです。

 

この記事では、小室哲哉さんについて、

 

小室哲哉のプロフィール

 

プロデュースを失敗した過去がある!?

 

小室哲哉の全盛期が凄すぎる?

 

の話題をご紹介します。

 

 

skyalliance.hatenablog.jp

 

 

 

 

スポンサードリンク
 

 

小室哲哉のプロフィール

 

 

f:id:sinberu:20170109191649p:plain

出典:http://www.oricon.co.jp/news/2033604/full/

 

小室哲哉(こむろてつや)さんは、1958年11月27日生まれの現在58歳で、東京都府中市出身、身長167cm、体重57kg、早稲田実業学校高等部商業科卒業後、早稲田大学社会科学部に入学し、中退しているミュージシャンであり、音楽プロデューサーです。

 

小室哲哉さんは、3歳のときからヴァイオリンを始め、エレクトーン、ギターなどを習っており、小学生の頃から作曲を始めていたと言います。

 

後に音楽プロデューサーとなる小室哲哉さんに大きな影響を与えたのは、1970年に開催された大阪万博において、シンセサイザー奏者である冨田勲さんの演奏している姿を見たことでした。

 

その後、シンセサイザーを購入した小室哲哉さんは、中学生にして、多くの楽曲を作曲しています。

 

高校入学後は、欧米のアーティストの影響を受けつつ、作曲を続け、大学進学後には、ついにプロのミュージシャンとして活動を始めています。

 

大学中退後の1983年には、宇都宮隆さん、木根尚登さんと共にTM NETWORK(ティーエム・ネットワーク)を結成し、1984年にミュージシャンとしてデビューします。

 

TM NETWORKは、当初は売れませんでしたが、小室哲哉さんは作曲家として、渡辺美里さん、松田聖子さん、中山美穂さんなどに楽曲提供をしていました。

 

そして、小室哲哉さんの名を世に知らしめたきっかけになったのが、渡辺美里さんに提供した楽曲で、1986年1月に発売された『My Revolution』が大ヒット曲したことでした。

 

この『My Revolution』の大ヒットと呼応するかのように、1987年4月にリリースされたTM NETWORKの10thシングル『Get Wild(ゲットワイルド)』が大ヒットし、作曲家としてだけでなく、ミュージシャンとしても一躍注目を浴びることになりました。

 

それから、小室哲哉さんの音楽プロデューサーとしての快進撃が始まります。

 

 

プロデュースを失敗した過去がある!?

 

 

f:id:sinberu:20170109191716p:plain

出典:http://www.rbbtoday.com/article/2012/09/26/94961.html

 

小室哲哉さんは、全盛期を迎えた時期に、プロデュースが失敗したと言われている歌手がいます。

 

それは、歌手のhitomiさんです。

 

hitomiさんといえば、1990年代後半から2000年代前半にかけて、一時代を築いた歌手で、『LOVE2000』を始め、数多くのヒット曲をリリースしています。

 

もともとモデル出身のhitomiさんでしたが、小室哲哉さんに出会い、小室哲哉さんプロデュースで歌手デビューすることになりました。

 

1994年11月にリリースされた『Let's Play Winter』で歌手デビューしたhitomiさんでしたが、オリコン週間ランキングで100位にも入らないという結果となり、hitomiさん自身も「小室ファミリーの落ちこぼれ」だったと後に語っています。

 

ただ、デビュー曲こそ失敗したものの、2ndシングル以降も、小室哲哉さんが作曲を担当し、オリコン週間ランキングで10位以内にランクインするなどそれなりにヒット曲を出しており、決して小室哲哉さんのプロデュースが失敗したわけではないと思います。

 

小室哲哉さんは、hitomiさんが後に大ブレイクする下地を作ったと言っても過言ではありません。

 

 

skyalliance.hatenablog.jp

 

スポンサードリンク
 

 

小室哲哉の全盛期が凄すぎる?

 

 

f:id:sinberu:20170109191800p:plain

出身:http://www.musicman-net.com/artist/55399.html

 

小室哲哉さんの全盛期と言えば、言うまでもなく、「小室ファミリー」をたくさん生んだ1990年代、1994年頃から1999年頃のことです。

 

「小室ファミリー」の代表格といえば、trf、globe、華原朋美さん、安室奈美恵さんなどですが、歌手だけでなく、篠原涼子さんや、ダウンタウンの浜田雅功さんがボーカルを務めた「H Jungle with t」などもいます。

 

trfは、6thシングル『survival dAnce ~no no cry more~』から5作連続ミリオンヒットを記録し、globeは、4thシングル『DEPARTURES』が200万枚を超える売上を記録しています。

 

また、華原朋美さんは、もともとアイドルとして活動していましたが、小室哲哉さんプロデュースで歌手デビューして、大ブレイクを果たした1人です。

 

1995年10月にリリースした2thシングル『I BELIEVE』、翌1996年3月リリースの『I'm proud』が2作連続のミリオンセラーを達成し、一躍脚光を浴びました。

 

安室奈美恵さんは、現在でもトップアーティストとして活躍していますが、大ブレイクしたきっかけになったのは、小室哲哉さんにプロデュースしてもらったことがきっかけです。

 

その安室奈美恵さんの最大のヒット曲は、1997年2月にリリースした『CAN YOU CELEBRATE?』で、200万枚を突破しています。

 

また、篠原涼子さんは、篠原涼子 with t.komuro名義でシングル「恋しさと せつなさと 心強さと」をリリースし、いきなりロングヒットを記録し、ダブルミリオンを達成しました。

 

浜田雅功さんと小室哲哉さんがタッグを組んだ『H Jungle with t』は、1995年3月に発売したデビューシングル『WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント』も200万枚の大ヒットを記録しました。

 

このような小室哲哉さんプロデュースによる「小室ファミリー」の快進撃により、小室哲哉さんは、1996年、1997年と2年連続で、高額納税者番付で全国第4位となり、推定23億円もの年収を稼ぎ出していたということになります。

 

 

まとめ

 

いかがでしたでしょうか。

 

この記事では、小室哲哉さんの

 

小室哲哉のプロフィール

 

プロデュースを失敗した過去がある!?

 

小室哲哉の全盛期が凄すぎる?

 

についての話題をご紹介しました。

 

小室哲哉さんのプロフィール等経歴を見てきましたが、けっこう波乱万丈な人生を送っている方だなぁと思います。

 

小室哲哉さんも成功ばかりしてきたというわけではなく、多くの失敗も経験してきたということがわかったと思います。

 

ただ、間違いなく言えることは、小室哲哉さんは、天才的な音楽のプロデュース力を持っているということです。

 

1990年代に「小室ブーム」と呼ばれる全盛期があったことは、変えようのない事実であり、そういう時代があったからこそ、小室哲哉さんは高い評価を得て、現在も活躍し続けることができているということです。

 

小室哲哉さんの今後更なるご活躍を期待しています。

 

 

 

skyalliance.hatenablog.jp

 

スポンサードリンク